自分は人間になりたいのだ,と,その魔物はひどく真摯な目をして言った。自分は人間になりたいのだ,人間になるのが夢なのだ,だからこうして旅をして人間になるための修行をしているのだ,と。

「あのね,いっぱい頑張ればきっとね,ぼくみたいなスライムでも人間になれると思うの」

 未来を信じて疑わぬ屈託のないその眼差しは,今やすべてを失おうとしているマルチェロにとってあまりに眩しく,そして痛烈だった。ああ,とマルチェロは胸中呟いた。これとよく似た目をした者に,つい最近も会ったような気がする。だが,それが一体誰だったのか,マルチェロはもう思い出す事が出来なかった。急速に失われてゆく体温が彼の内から思考すらをも奪ってゆく。視界は既にまったくの無彩色で,目の前の魔物がどんな姿をしているのか,いやそれ以前に目の前に居るものが本当に魔物なのかどうかさえ,最早判然としなかった。
 マルチェロさん,と魔物が呼んだ。その声に応えようと口を開きかけ,マルチェロはその場に頽れた。
 人生なんぞ呆気ないものだ,と,精一杯の冷笑を浮かべてマルチェロは呟く。これまで積み上げてきたものが崩れ去り,全てが無へと落ちてゆく。その中で,僅かに残された聴覚に,ねえ,と魔物が尋ねる声が響いた気もした。自分のような外道のものが人間になるための努力をしているというのに,元々人間であるあなたがどうして,そう在り続けることを拒むのか,と。

「ぼく,それってすごく,勿体ないことだと思うの。だから,ね」

 気が付いたときマルチェロは,眩い光に包み込まれていた。はっとして顔を上げると目の前には,一匹の小さなホイミスライムが立っていた。
「ぼく,ホイミが得意なんだよ」
 そう言って魔物はふわりと笑った。何故だろう,魔物の浮かべたその笑顔は,いつかマルチェロが祈りを捧げた女神のそれによく似ていた。
「マルチェロさんは,何が得意?」
「私か…私は……」
 問いかけられてほんの少しだけ逡巡し,けれど次の瞬間にはきっぱりと心を決め,マルチェロは答えた。
「どん底から這い上がるのが得意だな」
「良かった,それなら安心だね」

 立てる?と魔物が聞いてきた。ああ,と答えてマルチェロは,差し出された魔物の脚をその手に握った。
 独特のぬめりを含んだその触感は,常ならば,忌むべきものとして嫌悪すべき性質のものだったろう。だが,そのときのマルチェロはそれを不快なものだとは思わなかった。

「魔物,名を何という」
 その場に身を起こしたマルチェロは,魔物に向かってそう問いかけた。
「ホイミンだよ」
「そうか」
 頷いてマルチェロは瞑目した。そうして,精一杯の祈りを込めて,胸元に十字を切った。
 思えば随分と久し振りに。気が遠くなるほどの回り道の果てに。ようやく再びマルチェロは,祈りの他の何を望むこともなく,祈りの他の何を思うこともなく,ただ祈りのために,十字を切った。
 目の前の魔物が今日一番の弾けるような笑顔を見せる。
「ホイミン殿」
 呼びかけてマルチェロも破顔した。破れた法衣が風を受け,はたはたと快い音を立てた。

「…あなたの旅路に,神の御加護がありますように」
<終>

書き始めたときは ホイミン×マルチェロで触手プレイどーよ!直腸ホイミどーよ! などと意気込んでいた筈だったのにキーボード打ってる間にこんな話になりました。ちなみに,触手持ち状態のホイミンがマルチェロさんに遭遇するという事態があり得るのかどうなのかというあたりは考えちゃダメだ。←と半分項垂れていたのですが,そういえばポルトリンク手前の海岸に出る「みんなのアイドル」は「ホイミン」って名前ですね??
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